【どん底からの始まり】

物語の始まりは今から9年ほど前の30歳を過ぎた頃。

バリ島への渡航を直前に控え、涼しい風が吹き出した秋の中旬。

「人生を変えてやる!!」

「やりたいことに挑戦せずしてこのまま終わってたまるか!!」
出発を前にそんな決意を胸に抱いていました。

しかし実はそんな決意とは裏腹に、その当時の僕は自分に自信が持てなくて、人生にも希望が見えなくて、大きな焦りと不安を抱いていたのです。

大学を卒業後、公務員試験(県警)をパスしたものの、どうしても我慢ならないことがあり、
葛藤しながらも数か月で辞めてしまい、それ以来これといったやりたい仕事も見いだせず様々な職場を転々としながら主に非正規で働いていたからです。

これといった具体的な計画もなく辞めたことで招いた現状への焦りと自分への苛立ち、将来への不安と恐怖。
長い間、光の見えない暗い森の中でさまよっているような日々を過ごしていました。


人生の暗いトンネルの中にいたとある日の休日、たまたま寄った書店で手にした一冊の本。
その本を手にしたことで、暗闇に突然一筋の光が差し込んできました。
そしてその本のメッセージが強烈に心に突き刺さり、自分の中で何かが弾けました。
内容を手短に言うと「人生好きなことやらないで何するんだ?!」ってことでした。

それ以来
「自分が人生でどうしてもやりたい大好きなことって何だろう?」
「いったい俺って何がやりたいんだろう?」
そんなシンプルだけど本質的な問いが生じ、自分と向き合うことになりました。

大学生の時に出会い楽しくて仕方がなかった
「国際交流や旅、サーフィンがやりたい。」

「海外に住んでみたい。」
と心の底に沈んでいた想いに気づきました。

しかし、やりたいことが浮かんではきたものの、
次は「いったいどうやったら叶えられるのだろうか?」

「いくらくらい必要なんだろうか?」

「どこに行けばその思いを遂げることができるのだろうか?」

次にまた新たな疑問が生じてきました。

「物価がなるべく安くて、世界中から人が集まってきて、良い波があって、英語が通じて、なるべく治安もいい場所??」

どこだ??
直感でバリ島とひらめきました。
とある日の休日手にした本を購入してから2年ほど軍資金を用意するのに時間がかかってしまうのですが、仕事も辞めて、車も売り払い、
退路を断ってなんとか行く準備を整えました。

とはいえ「英語もしゃべれない、友達もいない、テロもあった場所だし・・・。」
本音を言うと1歩を踏み出すのが怖くて怖くて仕方がありませんでした。

何とか用意できた100万円を握りしめ、最悪の事態に直面した際の覚悟も決め
もう最後はどうにでもなれの精神でバリ島に飛び込みました。


それが9年前の今頃であり、絶望と不安と恐怖、そしてほんの少しの希望と勇気を抱えての旅立ちでした。

(時が経つのは早いもので、そこから9年が経過した今僕は自宅でパソコンのキーボードを叩いています。
正直その9年間のうち行ったり来たりを繰り返し、1年以上の時間をバリ島で過ごすことになるとは思っていませんでした。
それではバリ島での僕の体験を振り返ってみたいと思います。
少しでもバリ島の様子が伝わり、興味を抱いてもらえたらうれしいです。)




【インドネシア・バリ島の概説

2018年世界国際サーフィン大会が愛知県田原市で開催された際のサーフィンインドネシア代表団。

東京成田からガルーダインドネシア航空の直行便だと8時間弱ほどでつく常夏の島であるバリ島。距離としては6,000キロほど離れています。
インドネシア共和国に属する世界的な人気を誇るリゾート地です。


インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言し(実際の独立が果たされたのは1949年の12月。)、大小さまざまな島々の民族から構成されている国になります。


インドネシアは独立まで、オランダから約300年間の植民地支配を受けていた国であり、第二次世界大戦中の1942年には日本軍の軍政下におかれていました。(世界史を専攻していたのでなおさら恥ずかしいのですが、ジャワ島の東に位置する町バニュアンギに行った際お世話になった家の方に、「山奥に日本軍の戦闘機があるよ。」と教えてもらった時に申し訳なさというか複雑な気持ちになりました。なぜなら日本人である僕に対しても何の恨みや差別もなく優しく親切に接してくださったからです。)


インドネシアの公用語はインドネシア語で、9割ほどの国民はイスラム教徒と言われています。
バリ島はというと、バリ島はバリ人の島なのでバリ語とインドネシア語と英語で主に会話します。宗教はバリ島ではバリヒンズー教が信仰されています。
(他の島からの出稼ぎの人もたくさんいるのでイスラム教徒やキリスト教徒の方もいらっしゃいます。)

形式だけではなく、生活に深く浸透しており、様々なお祭りが頻繁に催されています。
現地を訪れたことがある方なら色鮮やかな民族衣装を着たバリ人を見たことがある人もいるかと思います。


静岡県ほどの面積に400万人以上の人々が住んでいて、空港がある南西部周辺の開発が盛んな場所の近くはバイクや車で大混雑していることが多いです。
インドネシアのお金はルピアであり、日々変動するレートにもよりますがこの記事を書いている時点では10,000円を交換すると1,406,500ルピアになります。
0を2つとって計算するとだいたい日本円の感覚で使えます。
(平均月収が日本と比べるとはるかに安い現地の方々にとっては大金になりますので、両替の際に限らずいつでも気を付けていたいものです。
物価が違うのでどちらが豊かとか豊かではないとかの話ではありません。)

バブル期以前から2002年のバリ島での爆弾テロが起きる前までは特に多くの日本人旅行者が訪れていたこともあり、ガイドさんで日本語を話せる方も多くいらっしゃいます。

地理的に近いのでオーストラリア人が特に多いように思いますが、ニュージーランド、アメリカ、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、ロシア、ブラジル、韓国、中国などをはじめ世界各国の旅人が日夜行きかいます。

バリ島デンパサール国際空港出口付近の写真。

【世界の縮図バリ島】

まず空港についてびっくり!!ものすごい湿気と暑さだった記憶があります。空港出口ではたくさんの人がごった返し、初の海外1人旅ということでとても疲れ緊張していた覚えがあります。

独特なお香の香りとともに、南国の緩い空気感とちょっとした怪しく危険な雰囲気も感じました。出口のそばでタクシーの運転手さんたちが休憩がてら床に座って談笑しながらタバコを吸っていたり日本では考えられないことに驚きました。
しかも普段目にしたことがあまりなかったタトゥーがたくさん入っている人もちらほら。

初期のバリ島の滞在ではお世話になった現地旅行会社の方の家でゆっくりとしながら、有名どころを観光したり、現地の食事やら生活の仕方、空気感、スピードなどに徐々に慣れていきました。

大きな滞在目的のひとつであるサーフィンに行くにはバイクが運転できないと話が始まらないので、レンタルバイクを借りて意を決して乗りました。


最初はバイクの数が見たことないくらい多く、スピード規制ってないのか?!ってくらいスピードを出し追い越していく人もたくさんいて、道路の舗装状況も急に陥没していたりと悪くて、慣れるまでには相当冷や汗をかきました。現地の状況に適応し不慣れで舗装の悪い道路を運転するのは勇気と経験が必要です。横から急に飛び出してくるバイクがあったり、車体間の距離が近いので事故らないためには常に集中が要求されます。

長いこと滞在していたらバリ島の開発に伴う負の部分に気づきました。
貧富の格差、排気ガス問題、河川や海の汚染、プラスチックごみ問題などいろいろです。


1人で行動できるようになってからはサーフィンを中心に「何かひとつでいいからこれっていうのをつかみたい!!」って気持ちで、とりあえず経験重視で行動していました。


なぜか観光にはすぐに飽きてしまい、その後はサーフィン、ヨガ体験、工芸品をはじめとしたショップ巡り、マリンアクティビティ体験、レストラン巡り、バーやクラブなど思いつく限り体験しました。

そうこうしてるうちに少しずつ知り合いも増えてきたある日の夜。

レギャン通りという繁華街のバリ島で一番有名なクラブであろう「Sky Garden」のすぐ近くにあった「Eicon」というクラブで知り合いと遊んでいました。そうしたら知り合いとはぐれることに。
どこいっちゃったんだろうと周りを探しても見当たらずどうしようと1人気落ちしていると、周りで楽しそうに騒いでいる集団と出くわしました。
それが後の運命を大きく左右する出来事になります。
気が合い一緒にビールを飲み大音量を浴びていたらいつの間にかなじんでいました。
僕はただの一般サーファーなので全然知らなかったのですが、彼らはバリ島を代表するプロのサーファーだったのです。
後日有名なサーフブランドのステッカーが貼ってあったのと、あまりのうまさで分かりました。

とにかく明るくて明るくて陽気な彼らが好きで好きで、時に危険で刺激的なスリリングな時間を重ねることで、少しずつですが仲間として受け入れてくれて今に至ります。
常に一緒に行動していると、その仲間の友達と仲良くなり、その連鎖でいろいろな国の人と交流をもつことができました。
極上の波があるバリ島には世界各地から波を求めて人が集まるのです。

ただ、プロである彼らが求める波は大きく切り立つ力のある波。そして一緒に行動するには基本はGO。
行動し根性と覚悟を見せ、時間を共有していくうちに少しずつですが確実に仲間として認められ受け入れてもらえたと思います。

先ほど運命を左右する出来事と記載したのは、彼らとの出会いがきっかけでサーフィンをもっと一緒に楽しめるようになりたい、そしてたくさんお世話になった仲間たちの役に立ち恩返しがしたいとの気持ちが芽生え、出会ってから数年以上後にはなるのですがその後トレーニングに興味を抱くようになる大きなきっかけの1つになったからです。

余談ですが、バリ島で約半年ほど滞在した後、もっと仲間たちと円滑にコミュニケーションを図りたい、バリ島以外の未知の海外で働きながら生活体験がしたいと思うようになり、ワーキングホリデーでオーストラリアを訪れ1年間住んでいました。
(サーファーズパラダイス4か月。サーフィンと語学学校
→Dalbyという田舎町の片隅にある人口200人ほどのCecil Plains2か月。いわゆる出稼ぎです。木材加工会社で大木を相手に奮闘してました。
→「地球のおへそ」巨大な一枚岩として世界遺産に認定されているエアーズロック・ウルルで6か月。エアーズロックリゾートスタッフとして勤務。
世界各国のスタッフと世界各国からの旅行者を相手に必死で働いてました。英語も下手でコミュニケーションもなかなか思うようにいかない中、毎日40℃超えの亜砂漠地帯での勤務はハードでした。)


人によってどんな体験をしたかでバリ島の捉え方や魅力はもちろん違うと思います。
僕はバリ島の
バリヒンズゥー教を中心とした生活
現地の方々の笑顔がたくさんあふれていること
極上の波
お香の香り
所々で咲いている美しい花
トロピカルフルーツの甘み
地平線に沈む美しい夕陽
自由な発想で創られたおしゃれな店がたくさんあること
人が人らしく自然体で生活していること
いろいろな国の人がいること

そんな点に魅力を感じました。


一言でいうなら「チャンプル・チャンプル」。すべてがごちゃ混ぜな状況。

多文化・多人種・多宗教・多人種・光と闇 
一か所にギュッと凝縮した場所、それが僕にとっての「世界の縮図バリ島」です。

バリ島の南端ウルワツにある結婚式場の写真。
広大な海を見渡せる崖の上にあり、水平線のかなたに沈む
夕陽は言葉にならない美しさです。
すぐ隣が有名な「Single Fin」というサーファーご用達なCafe&Bar(夜間はクラブイベントが開かれることがあります)があり、聞こえてくる音もおしゃれで最高です。


バリ島に旅立ったことで生じた想い】

バリ島やオーストラリアに行ったことで日本の良さや問題点に気づけ、
そして自分の中で「日本ってこう変わればもっといいなぁ」という想いが生じるようになりました。
清潔で治安が良く、安全で食事がおいしい。
よく海外の友達とかが言うのは上記に加え「オーガナイズされている。」ってことと、
「伝統文化やアニメをはじめ近代文化がとてもいい。」ってことも聞きます。
乗車の順番を守るなり、マナーが良いという意味だと思います。
逆に問題点として僕が一番気になったことは、人がとても疲れているように見える、そして笑顔が少ないということでした。
成田なり羽田につくと毎回空気が重くよどんでいるなぁと感じます。
人は慌ただしくスピーディーに動いているのに明るさや幸福な雰囲気があまりなく静かな感じとでもいいましょうか。
海外から友達が東京に来た時にたまに会いに行き一緒に観光に行くのですが、「なんで朝から電車の中で疲れた顔して眠っているの?」って
質問されたり。僕からしたら「それが東京」で当たり前で何とも思わないことが、海外からくる旅行者には異様に映るみたいです。

それともう一点気になったこと。それは英会話ができる人の数が圧倒的に少ないこと。
バリ島では英会話かインドネシア語が出来なきゃまず現地コミュニティーの人の輪に入れないし、自分の世界を広げるチャンスも、仕事のチャンスも逃してしまうと考えています。
そこに英語が完璧じゃなくてもガッツがある中国や韓国や近隣のアジアの国の人がいたらその人たちがチャンスを得て、日本人は置いてけぼりになるのは想像に難くありません。
日本の観光で困ったことあるかを聞いたら、「スマホでだいたい調べられるから困りはしないけど、日本人と交流ができないのは残念だよね。
なんでそんなに英会話が出来ないの?」って聞かれたり。

世界各国の人々と交流してきて思うのは、本当に大方の人は日本に対し好意的な感情を抱いてくれているということ。
だからこそ思うのは、このままでは本当にもったいないってこと。

海外に出たことで僕ははじめて外国人としての日々を過ごし、そのことで否が応でも日本人であることを意識させられ、ある意味ようやく日本人になれたと思います。

海外に出る前は愛国心という言葉は知っていても、正直な話その気持ちは以前の僕にはほぼなかったと思います。
バリ島もオーストラリアも国旗が至る所に飾ってありました。国を愛する他国の人々を見ていて僕はとても恥ずかしくなりました。
愛国心をもっていないと人付き合いする上で「自分の国大事じゃないの?!あなた大丈夫?!」ってなることも多いと経験上思います。
仮にこの先どこか他国に住むことになったとしても、生まれ育った祖国がずるずると弱り落ちていくのを何もせずに国や政治家のせいにしてただ文句ばかり言って見ているのはカッコ悪いし嫌だなと思ってます。
何より祖国が疲弊し沈んでいくのはとても悲しいです。

【これからの取り組み】

ということでこの2点の問題点の解決に向けて微力でも何かしたいと思い、帰国後は起業に向けてセミナーで情報収集、人とのつながりづくり、国際交流イベントの開催、藤枝にあるフィットネスクラブでの勤務、日本で開催されたサーフィン世界大会でのインドネシア・バリ島の仲間のサポート、トレーナーとしての活動準備をしてきました。

どうせやるなら自分自身最先端の一番良いトレーニングをやりたいし、そしてそれを人様に提供したいと思い、アスリートトレーニングだったりアニマルフローだったりいろいろと探し体験している道中で出会ったのがR-body project 社が提供されているコンディショニングトレーニングでした。

このコロナの状況下、運動ニーズ・健康への意識の高まりを感じます。
準備が整ったとはいえ状況が状況なので「Power of Bali」の想いを表現し実現するためのプロジェクトとして、まずはオンラインでのコンディショニングトレーニング教室を始めることにしました。

日本のみならず世界でも活躍できるトレーナーを目指し、1人でも多くの方がコンディションの整った元気で健康な人生を歩むお手伝いができるように努力していきたく思っています。

健康で元気な日本人がもっと増え、日本の魅力を世界に発信し国際的に活躍する日本人が多くなっていくことで、より魅力的で明るい日本や世界になると信じているので、そんな日本人が増えるような活動を行っていきたいです。
 
今後も世界各国、特にバリ島 インドネシアとのサーフィンはじめスポーツを通じた国際親善活動にも力を入れていきたいと思ってます。
バリ島のビーチに散乱しているプラスチックゴミの問題も深刻なので、バリ島の問題解決に微力ながら貢献できたらなと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

バリ島に興味を持っていただいた方は、
[Photo Gallery]を見ていただければ少しは参考になると思います。
Photo Gallery link
https://power-of-bali.com/photos/


※この記事を書いている2020年10月です。今現在では世界経済を反映するかのごとく、観光地であるバリ島は経済的に苦境に陥っていて、
友達のSNSにはいつもは人の往来で絶えない道に人がいないまるでゴーストタウンな状況が垣間見られます。
一刻も早くコロナが収束することを願うばかりです。

家やお店の前にお供え物として置かれているチャナン。
バリヒンズゥー教のお祈りの際、このお香の煙に決まった順番で色花をかざして行われます。