【目次】

1-どん底からの始まり

2-インドネシア・バリ島の概説

3-『世界の縮図 バリ島』

4-バリ島に旅立ったことで生じた想い

5-帰国後とこれから

1-どん底からの始まり

物語の始まりは今から9年ほど前の30歳を過ぎた頃(2011年11月)。

バリ島への渡航を直前に控え、涼しい風が吹き出した秋の中旬。

「人生を変えてやる!!」

「やりたいことに挑戦せずしてこのまま終わってたまるか!!」
出発を前にそんな覚悟を胸に抱いていました。

しかし実はそんな決意とは裏腹に、その当時の僕は自分に自信が持てなくて、人生にも希望が見えなくて、大きな焦りと不安を抱いていたのです。

大学を卒業後、公務員試験(県警)をパスしたものの、どうしても我慢ならないことがあり、
葛藤しながらも数か月で辞めてしまい、それ以来これといったやりたい仕事も見いだせず、体調不良のカラダで様々な職場を転々としながら非正規で働いていたからです。

これといった具体的な計画もなく辞めたことで招いた現状への焦りと自分への苛立ち、将来への不安と恐怖。
長い間、光の見えない暗い森の中でさまよっているような日々を過ごしていました。


人生の暗いトンネルの中にいたとある日の休日、たまたま寄った書店で手にした一冊の本。
その本を手にしたことで、暗闇に突然一筋の光が差し込んできました。
偶然手にしたその本に書かれていたメッセージが強烈に心に突き刺さり、自分の中で何かが弾けました。
心に響いたメッセージは「人生好きなことやらないで何すんだ?!」ってことでした。

それ以来
「自分が人生でどうしてもやりたい大好きなことって何だろう?」
「いったい俺って何がやりたいんだろう?」
そんなシンプルだけど本質的な問いが生じ、自分と向き合うことになりました。

大学生の時に出会い楽しくて仕方がなかった
「国際交流や旅、サーフィンがまたやりたい。」

「海外に住んでみたい。」
と心の底に沈んでいた想いに気づきました。

しかし、やりたいことが浮かんではきたものの、
次は「いったいどうやったら叶えられるのだろうか?」

「いくらくらい必要なんだろうか?」

「どこに行けばその思いを遂げることができるのだろうか?」と、

次は「正解」なんてないであろう疑問が生じてきました。


「物価がなるべく安くて、世界中から人が集まってきて、良い波があって、英語が通じて、なるべく治安もいい場所??」

どこだ??
直感でバリ島がひらめきました。


とある日の休日に書店でふと手にした本を購入してから2年ほど軍資金を用意するのに時間がかかってしまうのですが、仕事も辞めて、車も売り払い、
退路を断ってなんとか行く準備を整えました。

準備ができたとはいえ「英語もしゃべれない、友達もいない、テロもあった場所だし・・・。」
本音を言うと1歩を踏み出すのが怖くて怖くて仕方がありませんでした。

何とか用意できた100万円を握りしめ、最悪の事態に直面した際の覚悟も決め、どの道このままでは未来に道もないと思っていたので、もう最後はどうにでもなれの精神でバリ島に飛び込みました。

それが9年前の今頃(2011年11月)であり、絶望と不安と恐怖、そしてほんの少しの希望と勇気を抱えての旅立ちです。

(時が経つのは早いもので、そこから9年が経過した今僕は自宅でパソコンのキーボードを叩いています。
正直その9年間のうち行ったり来たりを繰り返し、1年以上の時間をバリ島で過ごすことになるとは思っていませんでした。
それではバリ島での僕の体験を振り返ってみたいと思います。
少しでもバリ島の様子が伝わり、興味を抱いてもらえたらうれしいです。)




2ーインドネシア・バリ島の概説

2018年世界国際サーフィン大会が愛知県田原市で開催された際のサーフィンインドネシア代表団。

東京成田からガルーダインドネシア航空の直行便だと8時間弱ほどでつく常夏の島であるバリ島。距離としては6,000キロほど離れています。
インドネシア共和国に属する世界的な人気を誇るリゾート地です。


インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言し(実際の独立が果たされたのは1949年の12月。)、大小さまざまな島々の民族から構成されている国になります。


インドネシアは独立まで、オランダから約300年間の植民地支配を受けていた国であり、第二次世界大戦中の1942年には日本軍の軍政下におかれていました。(世界史を専攻していたのでなおさら恥ずかしいのですが、ジャワ島の東に位置する町バニュアンギに行った際お世話になった家の方に、「山奥に日本軍の戦闘機があるよ。」と教えてもらった時に申し訳なさというか複雑な気持ちになりました。なぜなら日本人である僕に対しても何の恨みや差別もなく優しく親切に接してくださったからです。)


インドネシアの公用語はインドネシア語で、9割ほどの国民はイスラム教徒と言われています。
バリ島はというと、バリ島はバリ人の島なのでバリ語とインドネシア語と英語で主に会話します。宗教はバリ島ではバリヒンズー教が信仰されています。
(他の島からの出稼ぎの人もたくさんいるのでイスラム教徒やキリスト教徒の方もいらっしゃいます。)

形式だけではなく、生活に深く浸透しており、様々なお祭りが頻繁に催されています。
現地を訪れたことがある方なら色鮮やかな民族衣装を着たバリ人を見たことがある人もいるかと思います。


静岡県ほどの面積に400万人以上の人々が住んでいて、空港がある南西部周辺の開発が盛んな場所の近くはバイクや車で大混雑していることが多いです。
インドネシアのお金はルピアであり、日々変動するレートにもよりますがこの記事を書いている時点では10,000円を交換すると1,406,500ルピアになります。
0を2つとって計算するとだいたい日本円の感覚で使えます。
(平均月収が日本と比べるとはるかに安い現地の方々にとっては大金になりますので、両替の際に限らずいつでも気を付けていたいものです。
物価が違うのでどちらが豊かとか豊かではないとかの話ではありません。)

バブル期以前から2002年のバリ島での爆弾テロが起きる前までは特に多くの日本人旅行者が訪れていたこともあり、ガイドさんで日本語を話せる方も多くいらっしゃいます。

地理的に近いのでオーストラリア人が特に多いように思いますが、ニュージーランド、アメリカ、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、ロシア、ブラジル、韓国、中国などをはじめ世界各国の旅人が日夜行き交います。

バリ島デンパサール国際空港出口付近の写真。

3-『世界の縮図バリ島』

まず空港についてびっくり!!ものすごい湿気と暑さだった記憶があります。空港出口ではたくさんの人がごった返し、初の海外1人旅ということでとても疲れ緊張していた覚えがあります。

独特なお香の香りとともに、南国の緩い空気感とちょっとした怪しく危険な雰囲気も感じました。

出口のそばでタクシーの運転手さんたちが休憩がてら床に座って談笑しながらタバコを吸っていたり日本では考えられないことに驚きました。
しかも普段目にしたことがあまりなかったタトゥーがたくさん入っている人もちらほら。

初期のバリ島の滞在ではお世話になった現地旅行会社の方の家でゆっくりとしながら、有名どころを観光したり、現地の食事やら生活の仕方、空気感、スピードなどに徐々に慣れていきました。

大きな滞在目的のひとつであるサーフィンに行くにはバイクが運転できないと話が始まらないので、レンタルバイクを借りて意を決して乗りました。

(意を決しないと恐らく乗れないです。)


最初はバイクの数が見たことないくらい多く、スピード規制ってないのか?!ってくらいスピードを出し追い越していく人もたくさんいて、道路の舗装状況も急に陥没していたりと悪くて、慣れるまでには相当冷や汗をかきました。現地の状況に適応し不慣れで舗装の悪い道路を運転するのは勇気と経験が必要です。横から急に飛び出してくるバイクがあったり、車体間の距離が近いので事故らないためには常に集中が要求されます。

長いこと滞在していたらバリ島の開発に伴う負の部分に気づきました。
貧富の格差、排気ガス問題、河川や海の汚染、プラスチックごみ問題などいろいろです。


1人で行動できるようになってからはサーフィンを中心に「何かひとつでいいからこれっていうのをつかみたい!!」って気持ちで、とりあえず経験重視で行動していました。


なぜか観光にはすぐに飽きてしまい、その後はサーフィン、ヨガ体験、工芸品をはじめとしたショップ巡り、マリンアクティビティ体験、レストラン巡り、バーやクラブなど思いつく限り体験しました。

そうこうしてるうちに少しずつ知り合いも増えてきたある日の夜。

レギャン通りという繁華街のバリ島で一番有名なクラブであろう「Sky Garden」のすぐ近くにあった「Eicon」というクラブで知り合いと遊んでいました。そうしたら知り合いとはぐれることに。
どこいっちゃったんだろうと周りを探しても見当たらずどうしようと1人気落ちしていると、周りで楽しそうに騒いでいる集団と出くわしました。
それが後の運命を大きく左右する出来事になります。


気が合い一緒にビールを飲み大音量を浴びていたらいつの間にかなじんでいました。
僕はただの一般サーファーなので全然知らなかったのですが、彼らはバリ島を代表するプロサーファーだったのです。
後日サーフボードにサーフブランドのステッカーが貼ってあったのと、あまりのうまさで分かりました。

とても明るくて陽気な彼らが好きで、時に危険で刺激的なスリリングな時間を重ねてきました。

プロである彼らが求める波は大きく切り立つ力のある波。そして一緒に行動するには基本はGO。
行動し根性と覚悟を見せ、時間を共有していくうちに少しずつですが確実に仲間として認められ受け入れてもらえるようになり今に至ります。


常に一緒に行動していると、その仲間の友達と仲良くなり、その連鎖でいろいろな国の人と交流をもつことができました。
極上の波があるバリ島には世界各地から波を求めて人が集まるのです。

先ほど運命を左右する出来事と記載したのは、彼らとの出会いがきっかけで、

「サーフィンをもっと一緒に楽しめるようになりたい」と同時に「サーフィンで死にたくない(切実)w」、

「たくさんお世話になった仲間の役に立ち、少しでも恩返しがしたい」との気持ちが芽生えたからです。

彼らとの出会いが、その後本格的にトレーニングを学ぶ大きなきっかけの1つになりました。


もう1つのきっかけは、バリ島に約半年ほど滞在した後、「もっと仲間たちと円滑にコミュニケーションを図りたい、バリ島以外の未知の海外で働きながら生活体験がしたい」と思うようになり、ワーキングホリデービザを取りオーストラリアを訪れ1年間住んだことにあります。

日本人観光客からも人気な場所、オーストラリア東部(クイーンズランド州)のゴールドコーストに住んでいる時にトレーニングや健康的なライフスタイルに興味を抱くようになりました。

海岸沿いを自転車で10分ほどかけて語学学校に通っていたのですが、朝からビーチ沿いをご年配のご夫婦が一緒に歩かれていたり、様々な年齢層の方がたくさんジョギングをされていました。その光景を見て非常に素敵であり、健康的でいいなぁと思いました。

一番影響を受けたのは、トレーニングをやっていて筋肉隆々のオーストラリア人がたくさんいて純粋に強そうでカッコいいなぁと思ったことです。
ニュージーランドのマオリ族の血を引く人と数人交流があり、「ザ・戦士」って感じで本当に圧倒されました。

(サーファーズパラダイス4か月。サーフィンと語学学校編。
→Dalbyという田舎町の片隅にある人口200人ほどのCecil Plains2か月。いわゆる出稼ぎです。木材加工会社で大木を相手に奮闘してました。
→「地球のおへそ」巨大な一枚岩として世界遺産に認定されているエアーズロック・ウルルで6か月。エアーズロックリゾートスタッフとして勤務。
世界各国のスタッフと世界各国からの旅行者を相手に必死で働いてました。英語も下手でコミュニケーションもなかなか思うようにいかない中、毎日40℃超えの亜砂漠地帯での勤務はハードでした。)


人によってどんな体験をしたかでバリ島の捉え方や魅力はもちろん違うと思います。
僕はバリ島の
バリヒンズゥー教を中心とした生活
現地の方々の笑顔がたくさんあふれていること
極上の波
お香の香り
所々で咲いている美しい花
トロピカルフルーツの甘み
地平線に沈む美しい夕陽
自由な発想で創られたおしゃれな店がたくさんあること
人が人らしく自然体で生活していること
いろいろな国の人がいること

そんな点に魅力を感じました。


一言でいうなら「チャンプル・チャンプル」。

すべてがごちゃ混ぜな状況。

多文化・多人種・多宗教・多言語・光と闇 
一か所にギュッと凝縮した場所、それが僕にとっての『世界の縮図バリ島』です。

バリ島の南端ウルワツにある結婚式場の写真。
広大な海を見渡せる崖の上にあり、水平線のかなたに沈む
夕陽は言葉にならない美しさです。
すぐ隣が有名な「Single Fin」というサーファーご用達なCafe&Bar(夜間はクラブイベントが開かれることがあります)があり、聞こえてくる音もおしゃれで最高です。


4-バリ島に旅立ったことで生じた想い

バリ島やオーストラリアに住んだことで、今まで当たり前だと思っていた日本の治安の良さ、

生活の快適さ、清潔な衛生環境、食事のおいしさなどは当たり前ではなく有難いこと、素晴らしいことなのだと気づくことが出来ました。


よく海外の友達が言うのは上記に加え「オーガナイズされている」ってことです。
電車に乗る際も順番を守る、マナーが良いってことだと思います。
それと「伝統文化もクールだし、日本のアニメがとても好き」ってことも聞きます。

それと同時に改めて感じたこと。

人がとても疲れているように見えたこと。

そして笑顔が少ないということでした。
(日本に帰国しそのように感じた僕も、旅立つ前は特にですが、とても暗く疲れていて、笑顔も少なかったのだと思います)

成田なり羽田につくと毎回空気が重くよどんでいるなぁと感じます。
人は統制され慌ただしくスピーディーに動いているのに明るさや幸福感が不思議とあまり感じられないのです。
海外から友達が東京に来た時にたまに会いに行き一緒に観光に行くのですが、「なんで朝から電車の中で疲れた顔して眠っているの?」って
質問されたり。僕からしたら「それが東京」で当たり前で何とも思わないことが、海外からくる旅行者には異様に映るみたいです。

それともう一点気になったこと。それは国際色(国際性)の乏しさと英会話ができる人の数が圧倒的に少ないこと。
バリ島では英会話かインドネシア語が出来なきゃまず現地コミュニティーの人の輪に入れないし、自分の世界を広げるチャンスも、仕事のチャンスも逃してしまいます。
そこに英語が完璧じゃなくてもガッツがある中国や韓国や近隣のアジアの国の人がいたらその人たちがチャンスを得て、日本人は置いてけぼりになるのは想像に難くありません。


日本の観光で困ったことあるかを聞いたら、「スマホでだいたい調べられるから困りはしないけど、日本人と交流ができないのは残念だよね。
なんでそんなに英会話が出来ないの?」って聞かれたり。

世界各国の人々と交流してきて思うのは、本当に大方の人は日本に対し好意的な感情を抱いてくれているということ。
だからこそ思うのは、このままでは本当にもったいないってこと。

海外に住んだことで僕ははじめて「外国人になりました」。

海外に身を置いたことで否が応でも日本人であることを強烈に意識させられ、ある意味ようやく日本人になれたと思います。

海外に出る前は愛国心という言葉は知っていても、正直な話その気持ちは以前の僕にはほぼなかったです。


バリ島もオーストラリアも国旗が至る所に飾ってありました。国を愛する他国の人々を見ていて僕はとても恥ずかしくなりました。
愛国心をもっていないと他国の人と人付き合いする上で「自分の国大事じゃないの?!あなた大丈夫?!」ってなることも多いと思います。
仮にこの先どこか他国に住むことになったとしても、生まれ育った祖国がずるずると弱り落ちていくのを何もせずに国や政治家のせいにしてただ文句ばかり言って見ているのはカッコ悪いし嫌だなと思ってます。
何より祖国が疲弊し沈んでいくのはとても悲しいです。

5-帰国後とこれから

自分が気づいた2つのこと「あまり元気がない・国際色が少ない」という現状を微力でも改善していきたい、貢献したいと思い、帰国後は起業に向けてセミナーで情報収集、人とのつながりづくり、国際交流イベントの開催、藤枝にあるフィットネスクラブでの勤務、日本で開催されたサーフィン世界大会でのインドネシア・バリ島の仲間のサポートをしてきました。


フィットネスクラブでの勤務で知ったのですが、日本のフィットネス人口(日常に運動習慣のある人)は4%にも満たないとのことです。

実は自分もバリ島・オーストラリアから帰国後フィットネスクラブで勤務するまではちゃんとした運動習慣はなかったです。

健康に生きるための知識もなかったです。なので顎関節症、膝の怪我、心の病気、皮膚の病気と今までさんざん苦しんだんだなと今になってよく分かります。

どうせやるなら自分自身最高のトレーニングをやりたいし、人様にも最高と思えるものをお勧めしたいし広めたい。

ということで、1人1人のお悩みの解決をサポートするパーソナルトレーナーの資格取得を目指しながら(知識を得る)同時進行で体系だったトレーニング理論を探してました。 

色々と動いて探して試した結果、なるほどと納得でき、やればやっただけ奥深さを感じ、効果も感じれたのがR-body project社が提供されている「コンディショニングサービス」でした。

正しい知識をもとに日々コンディショニングを習慣として実践することで心身共にとても楽に生きれるようになりました。

僕は身体を動かすこと、運動・スポーツ・トレーニングが大好きです。なので運動の効果効能や実施する際の注意点をお伝えし、日常にコンディショニング習慣がある人が増えることで少しでも明るく元気な日本社会の実現になっていくと信じています。そんな明るく希望の持てる日本の未来の実現に微力ながらでも貢献していきたいと思っています。

日本のみならず世界でも活躍できるトレーナーを目指すことで、同じように世界で活躍することを目指す人が増えたり、世界からの日本への注目度が上がることで他国・異文化間の相互理解が促進され、相互理解に基づく国際色豊かな日本社会実現にも繋がるのかなと考えています。

日本のみならず世界中、1人でも多くの人が元気で健康な人生を歩むお手伝いができるように努力していきたいと思っています。

健康で元気な日本人がもっと増え、日本の魅力を世界に発信し国際的に活躍する日本人が多くなっていくことで、より魅力的で明るい日本や世界になると信じているので、そんな日本人が増えるような活動を行っていきたいです。
 
今後も世界各国、特にバリ島・インドネシアとのサーフィンはじめスポーツを通じた国際親善活動にも力を入れていきたいと思ってます。
バリ島のビーチに散乱しているプラスチックゴミの問題も深刻で見ていて悲しくなるので、バリ島が抱える問題解決にも微力ながら貢献できたらなと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

バリ島に興味を持っていただいた方は、
[Photo Gallery]を見ていただければ少しは参考になると思います。
Photo Gallery link
https://power-of-bali.com/photos/

活動紹介動画

Power of Bali is for making people cheerful & this world better place – YouTube


※この記事を書いているのは2020年10月です。今現在では世界経済を反映するかのごとく、観光地であるバリ島は経済的に苦境に陥っていて、
友達のSNSにはいつもは人の往来で絶えない道に人がいないまるでゴーストタウンな状況が垣間見られます。
一刻も早くコロナが収束することを願うばかりです。


家やお店の前にお供え物として置かれているチャナン。
バリヒンズゥー教のお祈りの際、このお香の煙に決まった順番で色花をかざして行われます。